【木内石亭の著書】
■「雲根志(うんこんし)」
■ 「曲玉(まがたま)問答(もんどう)」
■「龍骨記(りゅうこつき)」
■「鏃石記(ぞくせきき)」
■ 「天狗(てんぐの)爪(つめ)石(いし)奇(き)談(だん)」 |
玉りん(ぎょくりん)
1774(安永3)年に現在の南山田に生まれた玉りんは、幼い頃から墨で竹の絵を書くことが大好きで竹の絵を描いていました。
やがて僧になることを志し、近所の最光寺の岳陽のもとに入門しました。その後10年間、岐阜県の立政寺で修行をしますが、修行を忘れ、絵ばかり描いていました。岳陽は玉りんに注意もしましたが、玉りんが21歳の時、そのすばらしい力を認め、絵を描くことを許可しました。
やがて玉りんは絵を売って生活ができるほどになり、京都の木屋町に移り住み、その家を「淵々庵」と名づけました。
中神琴渓
1744(寛保4)年に南山田町に生まれた琴渓は、自分の学んだ医学にこだわらず、従来の方法が患者に合わなければ、いろいろな治療法を取り入れて患者にあったものを追求しました。
30歳を過ぎてから医学に入った琴渓は、「100人に90人は正しい生活をしていれば治るもの。むやみに薬に頼るのはよくない。」として、目の前の患者の状態を見て治療にしました。この考え方は現代医療に精通するものです。
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●特産物(動植物含む)
草津市の花 あおばな
山田学区は、青花発祥の地といわれています。青花とは、露草(ツユクサ科の一年草)の栽培変種で、正式な植物名はオオボウシバナといわれ露草よりも、花びらが大きく、草津市でしか栽培されていない青色を帯びた可憐な草花です。
この花の青汁で作った青花紙は、古くから京都や金沢の友禅染の下絵描き染料として使われてきました。
最盛期は1918(大正7)年頃でした。昭和初期には、木川町、山田町、下笠町、上笠町の栽培農家が約500軒あり、作付け面積も約8haありましたが現在ではわずか数軒のみで栽培、生産されています。
アオバナの栽培の歴史は古く、300年以上前と考えられますが、はっきりしたことはわかりません。1797(寛政9)年に刊行された「東海道名所図絵巻2」草津の項でアオバナ紙づくりについて詳しく描かれています。
また、東海道五十三次の版画で有名な歌川(安藤)広重は、1830(天保元)年、草津に立ち寄り、「人物東海道五十三次・草津」にアオバナつみの様子をあらわしました。
昭和56年(1981)、草津市は青花を市の花に指定しました。
草津メロン
北山田は滋賀県の南部に位置し、冬場の平均気温も1月3℃、2月3.3℃、3月6.2℃と温暖な地域で、旧草津川(天井川)が琵琶湖に注ぐ平坦な流域で、沖積層の砂質壌土いわゆる、畑作の好適地です。
昭和60年頃よりメロン栽培が始まり、現在では草津メロンの名声も高まり、平成14年(2002)では、北山田町でのメロン農家44戸、栽培面積は約8haにもなり、生産量も約152,000個、約40,000ケースが出荷されています。
現在栽培されている品種はアムス、タカミ、ホノカ、センチュリーの4品種で草津の特産品の1つとなっています。中でもアムスメロンが草津メロンの代表です。味は口当たりがよく強い甘みを持つのが特徴で、「例えるならアイスクリームのようだ。」と表現する人もいます。
▼問い合わせ
JA草津市野菜センター
草津市北山田町
TEL:564-5415 |
琵琶湖真珠
大正から昭和初期まで、淡水真珠養殖は草津市のほかにも守山市、近江八幡市、今津町などでも行われていました。草津は特にさかんで紙が県全体の生産量の3分の1をしめていました。できた真珠はおもにインドは中近東、ヨーロッパの国々に輸出されました。
近年では琵琶湖の富栄養化が進み水質が悪くなってきたことなどが原因で、イケチョウ貝の成長に影響が出て、1970年(昭和45)年ごろから生産量が減ってきました。しかし、その後、水質悪化に強いイケチョウ貝の実験養殖もされ、1990年代後半には、滋賀県全体で見ると生産量が増加してきています。今では滋賀県全体で17軒の真珠養殖業者があり、草津市には1件の養殖業者があります。
▼問い合わせ
クボパール 久保産業
草津市木川町486
TEL:563-0333 |