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山田
-やまだ-

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特産物

 

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地域の概要
山田地域は、草津市の西部に位置し、琵琶湖に接しています。
山田小学校は琵琶湖のすぐそばの広々した平地にあり、すぐ横に旧草津川の堤防が残っています。広い畑が広がり、たくさんのビニルハウスがあります。
北山田浄水場や学校給食センターがあります。

◆人口◆
*草津市公文書公開室 備付資料より

*年齢基準日2005/4/1





◆暮らし◆ ◆教育◆
山田郵便局 すぎのこ保育園
  山田幼稚園
  山田小学校
  松原中学校(笠縫)
  草津高等学校
   
◆憩い◆ ◆NPO法人◆
木川六ノ坪児童公園 環境市民 滋賀
南山田児童公園 エコビリティ
木川四石舞児童公園  

歴史・史跡・文化財
大宮若松神社の古墳
神社本田の背後にある古墳は墳丘南側を大きく損壊されているが、高さ4m、直径40m程度の大型円墳である。琵琶湖辺の要所を制圧していた首長の墓と考えられる5世紀後半の古墳である。

最明寺
寺伝では文永3年(1266)僧智明開基とする。境内には高さ2m80cmを計る大型の五重塔がある。 答申の笠の反りが大きい鎌倉時代の様相を有する。

木川薬師堂 西遊寺の飛地の小堂薬師堂には重要文化財の木造薬師如来坐像と木造昆沙門天立像が安置されている。
薬師如来は寄木内刳りの、大振りな螺髪、高い肉髪を有する引き締まった顔の11世紀前期頃の特徴を示す彫像である。
昆沙門天は着甲武装、右手に宝剣を握り、左手に宝塔を捧げ、二頭の邪鬼の上に立つ、護法神らしい平安時代の彫像で、もとは木川町天神社の本地仏であった。(通常非公開)

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人物

杉江 善右衛門
現在のように道路も鉄道も無い時代に、一度に大量の人や物資を運ぶ交通機関は、ただひとつ船でした。
山田港は、江戸時代前までは、矢橋、志那と肩を並べた港でした。しかし、江戸時代は矢橋港だけが栄え、山田港はさびれた漁港になっていました。
1872(明治5)年、「山田港の栄えを取りもどしたい。」と強く願うようになった善右衛門は、郷土の発展は湖上航路を開くしかないと決意しました。同じ思いの人たちと山田渡船組合を結成し、山田港と水路を整えました。
取り壊された膳所上の石垣や堀の石を運び出して利用するなど、苦労の様子が伺われます。

木内 石亭

ある年の正月、石亭少年は夢を見ました。骨董品屋の店先に、青く透き通ったぶどうが吊り下げられたいました。手に取るとそれはぶどうそっくりな石で、早速安く買ったと思ったら、目が覚めたといいます。翌日その話をするとみんなに笑われました。
ところが次の年たまたま大津の高観音にお参りする道すがら、昨年の夢と同じ店にあの「ぶどう石」が吊り下げられていました。石亭少年はこれを買って、生涯大切にしました。
この奇妙な夢を見た石亭少年は、深く医師に引かれ、やがて石集めを学問の水準まで高めました。
石亭は「石の長者」といわれ、石のことにかけては全国に知られた人物です。
彼は享保9年(1724)に大津の下坂本に生まれました。幼いとき、母の実家である北山田町の木内家の養子となり、文化5年(1808)に85歳で生涯を閉じるまで、ただ一途に石を愛し、弄(ろう)石(ぜき)家としての情熱を傾けました。
シーボルトの著書「日本」は、石亭のことを日本先史学の始祖として、全世界に紹介しています。
数々の功績を残した石亭は「死後、心に残るは石なり。」との遺書を残し、文化5年(1808)に85歳の生涯を閉じました。
北山田町の湖岸近くに、「木内石亭址」の標柱が建っています。

【木内石亭の著書】
■「雲根志(うんこんし)」
■ 「曲玉(まがたま)問答(もんどう)」
■「龍骨記(りゅうこつき)」
■「鏃石記(ぞくせきき)」
■ 「天狗(てんぐの)爪(つめ)石(いし)奇(き)談(だん)」

玉りん(ぎょくりん)
1774(安永3)年に現在の南山田に生まれた玉りんは、幼い頃から墨で竹の絵を書くことが大好きで竹の絵を描いていました。
やがて僧になることを志し、近所の最光寺の岳陽のもとに入門しました。その後10年間、岐阜県の立政寺で修行をしますが、修行を忘れ、絵ばかり描いていました。岳陽は玉りんに注意もしましたが、玉りんが21歳の時、そのすばらしい力を認め、絵を描くことを許可しました。
やがて玉りんは絵を売って生活ができるほどになり、京都の木屋町に移り住み、その家を「淵々庵」と名づけました。

中神琴渓
1744(寛保4)年に南山田町に生まれた琴渓は、自分の学んだ医学にこだわらず、従来の方法が患者に合わなければ、いろいろな治療法を取り入れて患者にあったものを追求しました。
30歳を過ぎてから医学に入った琴渓は、「100人に90人は正しい生活をしていれば治るもの。むやみに薬に頼るのはよくない。」として、目の前の患者の状態を見て治療にしました。この考え方は現代医療に精通するものです。

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特産物(動植物含む)

草津市の花 あおばな

山田学区は、青花発祥の地といわれています。青花とは、露草(ツユクサ科の一年草)の栽培変種で、正式な植物名はオオボウシバナといわれ露草よりも、花びらが大きく、草津市でしか栽培されていない青色を帯びた可憐な草花です。
この花の青汁で作った青花紙は、古くから京都や金沢の友禅染の下絵描き染料として使われてきました。
最盛期は1918(大正7)年頃でした。昭和初期には、木川町、山田町、下笠町、上笠町の栽培農家が約500軒あり、作付け面積も約8haありましたが現在ではわずか数軒のみで栽培、生産されています。
アオバナの栽培の歴史は古く、300年以上前と考えられますが、はっきりしたことはわかりません。1797(寛政9)年に刊行された「東海道名所図絵巻2」草津の項でアオバナ紙づくりについて詳しく描かれています。
また、東海道五十三次の版画で有名な歌川(安藤)広重は、1830(天保元)年、草津に立ち寄り、「人物東海道五十三次・草津」にアオバナつみの様子をあらわしました。
昭和56年(1981)、草津市は青花を市の花に指定しました。

草津メロン
北山田は滋賀県の南部に位置し、冬場の平均気温も1月3℃、2月3.3℃、3月6.2℃と温暖な地域で、旧草津川(天井川)が琵琶湖に注ぐ平坦な流域で、沖積層の砂質壌土いわゆる、畑作の好適地です。
昭和60年頃よりメロン栽培が始まり、現在では草津メロンの名声も高まり、平成14年(2002)では、北山田町でのメロン農家44戸、栽培面積は約8haにもなり、生産量も約152,000個、約40,000ケースが出荷されています。
現在栽培されている品種はアムス、タカミ、ホノカ、センチュリーの4品種で草津の特産品の1つとなっています。中でもアムスメロンが草津メロンの代表です。味は口当たりがよく強い甘みを持つのが特徴で、「例えるならアイスクリームのようだ。」と表現する人もいます。

▼問い合わせ
JA草津市野菜センター
草津市北山田町
TEL:564-5415

琵琶湖真珠

大正から昭和初期まで、淡水真珠養殖は草津市のほかにも守山市、近江八幡市、今津町などでも行われていました。草津は特にさかんで紙が県全体の生産量の3分の1をしめていました。できた真珠はおもにインドは中近東、ヨーロッパの国々に輸出されました。
近年では琵琶湖の富栄養化が進み水質が悪くなってきたことなどが原因で、イケチョウ貝の成長に影響が出て、1970年(昭和45)年ごろから生産量が減ってきました。しかし、その後、水質悪化に強いイケチョウ貝の実験養殖もされ、1990年代後半には、滋賀県全体で見ると生産量が増加してきています。今では滋賀県全体で17軒の真珠養殖業者があり、草津市には1件の養殖業者があります。

▼問い合わせ
クボパール 久保産業
草津市木川町486
TEL:563-0333
 
 

 

 

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