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●歴史・史跡・文化財 老杉神社 社伝によれば、本社は慶雲元(704)年、境内の大杉に神霊が降臨したことから、社殿を建て、神を祀ったという。 現在の社殿は宝徳4(1452)に建立された華麗な本殿で重要文化財である。 上笠天満宮 天智天皇9(670)年笠朝臣によって勧請されたと伝わる古い神社である。 春と秋に祭礼があり、秋祭りの「講踊」は、湖南地方に伝わる風流踊りの一つで、特色のある歌を残し、古い形態を残す。 ●人物 横井 金谷 1761(宝暦11)年に下笠町に生まれた金谷は、72歳で一生を終えるまで、同じ場所にとどまることなく、旅人として全国を巡り歩いたお坊さんでした。 そして、行く先々で自然の風景を絵に表し、各地に残していきました。金谷の描く山水画は、写生を基調とした淡彩なもので、スケールが大きく、ダイナミックで、生き生きとした線画が人々の心をとらえました。金谷は山水が以外にも仏画、俳画を描き、また、彫刻や瀬戸焼の絵付けをするなど多彩な才能の持ち主でした。金谷の風景画は力強い筆致で描かれており、明るい自由な雰囲気が感じられます。
野添 平米 1895(明治28)年に下笠町の農家に生まれた野添平米は「へいべい」が正式な呼び名ですが「へいまいさん」と呼ばれ地元の人々に親しまれています。本名は次郎で平米は、その雅号です。 小さいときから絵が好きで、日記には、風景や草花などを丁寧に描いていた平米は笠縫尋常小学校に学び、草津尋常高等小学校を卒業後、1913(大正2)年18歳の時、京都へ出て、絵の勉強を始めました。 1919(大正8)年には早くも帝国美術院展覧会に「朴」を出品し、初入選したのち9回入選した後、1932年(昭和7)年に特選しました。 帝国美術院展覧会は今で言う『日本美術展覧会』であり一流の画家たちが目指す展覧会です。その中で特選をとることは並みのことではありませんでした。 戦争の激化とともに郷里の下笠へ疎開した平米は草津をたくさん描きました。自由で小さな物事にこだわらない人らしく、写生に出かけると数日は家に帰ってこないとか、色紙に絵を描いて米と交換していたとか、様々なエピソードが残っています。 酒をたしなみ、人の悪口を消していわない心の一位性格で、その気さくな人柄が地域の人々に愛された平米は、1980(昭和55)年、京都市伏見区の自宅で86歳の生涯を閉じました。 日本画一筋に生きた情熱的な画家でした。 ●伝統・風習 サンヤレ踊り 下笠町に鎮座する老杉神社の祭礼に奉納される踊りで、毎年5月3日におこなわれています。 中世において五穀豊穣を祈願して奉納された猿楽田楽に起縁し、旧11町の氏子によって、継承され「草津のサンヤレ踊り」として1987(昭和62)年に県、1993(平成5)年には国の無形民俗文化財となりました。 また村人の幸あれと願ったものであるともいわれ踊りは音頭とり、太鼓打ち、太鼓持ち、鼓、鉦、笛、ササラ、スッコなど色鮮やかな衣装を身にまとった総勢20人ほどの男性(うち8人が小学生)で構成され、「サンヤレ」の囃子(はやし)詞とともに踊られます。
講踊り 上笠天満宮の講踊りは、上笠に伝わる民俗芸能です。起源は定かでありませんが風流踊りの一つで、降雨祈願のために奉納されたと伝えられています。 講踊りは太鼓打ちと心棒打ち各2名を先頭に社参し、締太鼓を胸前に持って、越前道行を歌います。踊り手は円陣を組むが、内側の列を中踊り(拝殿周縁)、外側を外踊りといいます。中踊り、外踊りともに多数参列して、踊り歌うのですが、踊り歌は小原木(こはらき)踊(おどり)、飛騨踊、鳥指踊(とりさしおどり)など29曲もあります。 花笠や一文字笠を色とりどりに飾りつけて、「イヤア○○踊りをひとおどり、イヤアひとおどり」の口上に合わせ29番120歌「おんどろよ」と歌い、最後に「○○踊りはこれまで」で終了するのです。 この上笠天満宮の講踊りは、毎年10月下旬の日曜日の午後に上笠天満宮の秋の祭礼にあわせて境内で踊られており、県の無形民俗文化財となっています。 |
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